もはや何もやりたくない。。。
漫画家だとかデザインだとか目指したいような方向は色々あるのだけど
どれもうまくいかない時期などの苦痛があるというネガティヴな想像も
できてしまうからもはや何もやりたくない
誰かが示す方向だとか
何かに注力、目指すことにも疲れたし
また今回の土日もだらだらと過ごし、このまま年をとって
晩年は後悔の中で死ぬのだろうな。。。
闇エンジンの者なりの戦い方がある
光属性のエンジン(人と話すのが楽しい->人脈増やせる、やりたいことがある->やりたいことに向かって頑張れる、良趣味)を正常に積んでいれば
光属性のエンジンの人間の成功談を真似ればよいのだけど
闇属性のエンジン(人と関わりたくない、恐怖に追い立てられることでしか頑張れない、悪趣味)積んでる場合にそれを真似してもただただあまりうまくいかない(経験談)
逆に中学生の時にで謎に人気者(?)になったときは、「怖い話を教えてくれる子がいる」という都市伝説テラーとしての需要だった(?)
闇エンジンを積んでいる物は、闇エンジンにあった戦い方を元に戦う必要がある。
おしゃれ〜〜なイラストではなく闇漫画、闇イラスト、鬱屈とした闇属性の何かを発信していくなりして自分にあった価値の発揮の仕方を行っていきたい(願望)
人脈作れないなと悩んだけど、もはや一人でいいやと結論
人脈というもののパワーに頼ろうとしなければ
人脈なくてもいけるのではないだろうか。
作れないものは作れないのだから作れないなりの生き方を探そう..
好意の返報性そのままに行動している気がする
好いてくれる人は好きになるし、最終的には自分の方が好きだったりもするよね。(どういうことなんだろうか)
振り向かれる心配がない
そして自分から追いかけて好きになった人がこちらに振り向くと引いてしまうけど、最初から好きでいてくれる人は「振り向く」という「以前とは違って好意を持つ状態になる」ということは無いから引いてしまうかもしれないという心配はせずに済むという謎理論が成立している。(まあ嫌われる心配はあるけど)
最初から好意を持ってくれる人を探すべきかも
つまり最初から好意を持ってくれる人を探して、その人を好意の返報性で好きになったら何事も解決するのだろうか?
たしかに女性は追いかけるより追われる恋をした方が良いとは聞くけど。
そんな人をどうやって出会うか?
そうなると次はそんな人をどうやって探そうという問題になる。今までの経験上、明るくまともに色んなことやってるとそこを過剰評価して好意を持って接して来てくれる気がする。なので…結局はもう普段からちゃんとまともに清く正しくしようということになってしまうな。
日常をまともに過ごすの大事(反省)
この人と結婚できる人は幸せだろうな、と思う
自分がその立場に…!なんておこがましいこと言うつもりはないけど、ただそんな情景を思い浮かべては羨ましいなと考えてしまう。
自分は何か悪影響を与えている?
罪悪感を感じるよ…!?